視察日誌


2023年


2023/9/23

保原の福島交通軌道線保存車

 

この日は用があって、那須まで国道4号を一直線に南下する予定だったのですが…道の駅国見でふとこの電車のことが気になり、急遽よりみちして視察に行ってきました。

場所としては、保原中央交流館という。Googleマップでもこの電車がアイコン的に表示されるし。

この1116号、日車がお気に入りだった?福島電鉄が1950年代に導入したものらしいが、そういう鉄オタ的な経緯は記されていなかった。

整備から8年経過していて、屋根もかけられていないから状態はそれなり、良くも悪くもないのかな。

修復には地元企業、協三工業が関わっていた旨記載がある。

2023/06

山形交通高畠駅

 

ひさびさに保存車輛を見に行ってきた。

山形交通高畠線の旧高畠駅は、仙台からだと国道113号線二井宿峠を越えるのが最短である。

七ヶ宿ダムを過ぎていくつか集落のわきをかすめるのだが、宮城県内は規格も低く線形もいまひとつな感じで表定速度も上がらない。県境を越え、通行止の旧道の入口を横目に急に高規格なトンネルと橋で峠を下る…結構な高低差で、想像するしかないが旧道の酷道ぶりは相当なものだったろう。

昼過ぎに町内でラーメンを食べて、Googleマップを見ると、目的地は近い。しかしながら大体見当をつけて向かうも同じ付近を数回まわることになってしまった。

結局信用組合かなにかのビル附近から斜めに走る街路の先に石造りの駅舎があるのが見えてやっと到着。

もっと淋しい場所…駅前に新しい介護施設があるくらいで 昔からあった雰囲気の医院にも人の気配はないのであるが…を想像していたが、思いのほか車でかわるがわる人が訪れるし、保存車には上屋が造られて放置感も薄い。なにより駅舎が美しく保たれているのが最高だった。


2022年


2022/5/5 1990年頃にタイムスリップ?

 

久々にどこか行ってきた話ではなく…昔の写真でお茶を濁します。

部屋を掃除してたら出てきた、旧塩釜線塩釜埠頭駅(←旧塩釜港駅。部分廃止後統合)に留置された車輌の写真です。

たしか高校生の時だったはず。

東北各地から廃車になったオールドタイマーたちが送り込まれて、一部の車輌は引き取り手が見つかったりして解体を免れ、そうでないものはここで一生を終えたりしていた。

上の写真はご当地名物だった? 控車「ヒ」。旧埠頭駅で機回しができなかったので使われていたようです。

不鮮明なので言わないとわからないけど、のちに利府駅構内、そして新幹線車両センター敷地内で保存(放置)されることになった交流電機の(先行)試作車とトップナンバーたち。

ED711、ED781、ED77901、ED751、ED71、ED9121となぜかDD15?の機関車部分のみが利府駅に移動したが、752は解体されてしまったようです。DD15もその後のことはよく知らないです。

 

磐越西線用ED77 901

ここで初めて見ましたが、屋根上のモニターが大型なのが目を惹きました。尾灯の円板もこの時代にはレアでした。

後方には大量のワムハチ。

あのへんの線路が旧埠頭駅方面へとつながってました。

道路沿いの商店の裏手と大昔の旧魚市場などの間を抜けて、昇開式?でしたっけ? 踏切番が手動で上げ下げする踏切を通過して、有名だった可動橋へ向かっていたのでした。

仙石線の高架下に転轍機標識とテコが置いてありました。

その向こうに控車が見えます。

現在跡地はイオンとホムセン、南口ロータリーになっているのですが、本塩釜駅南口からイオンに入っていくあたりだと思います。更に背後の塩釜信金の建物は現存しますが、いまは合併して「杜の都信用金庫」の支店になってしまいました。

ほかに駅周辺(現南口)でこの頃からある大きな建物は七十七銀行とホテルグランドパレスぐらいですね。

転轍機側面の陽刻。


2018年


2018/4/29 泉中央から吉岡営業所へ

今年のGWは、地下鉄で泉中央駅まで行き、そこからミヤコーバスに乗って、同社の吉岡営業所を訪問してきました。

左のエアロスターノンステ、車内シート配置が独特で、ノンステップエリアは横向き、後輪上はナナンと対面クロスシートと近郊型電車的! 日除けなどの装備も独特で、どこの中古かと思ってましたが、あとでもと尼崎市営だったと気づきました。

吉岡では特定輸送車がずらっと休んでいて、いすゞ設計の純正ガーラミオ(日野ОEМではない)が目を惹きました。

復路はなんとなく富谷方面へと歩くうちに、宮城交通富谷営業所まで徒歩連絡してしまいました(笑)


2017年


2017/6/18   トヨタFCバスに試乗

仙台市内に燃料電池車用の水素ステーションがオープンしたのを機に、PRのために4日間だけ、仙台を燃料電池バスが走った。2日目の日曜日から3日間は、東西線荒井駅と仙台うみの杜水族館の間の無料シャトルバスとして運行された。

車輛の管理は、宮城交通が受託していたようだ。

車内には運転席も含めて、この手の試作車にありがちなモニターなどの設備は一切なく、近未来的な雰囲気ではあるが、運賃収受関係の機器を搭載すれば、すぐにでも営業運転に供することも可能な仕様だった。

 

車体は一見して、ジェイ・バス製の日野ブルーリボンシティの流れを汲む構造だったし、後輪のハブにもHinoの陽刻が入っていたが、見える場所にコーションプレートなどは一切なかった。ガラスにJBUSの文字が入っている程度で、中扉が外開きのプラグドアである点をみても、やはりこれは試作車ないしは実験車なのだと実感した。

走行中も、燃料電池特有の音(そんなのがあるのかな?)は一切なく、走行用の電気モータとエアコンの作動音が静かに聞こえる程度。しかしながらサスペンションは普通のノンステップバス並で、そこは現実的だった。


2017/4/15  くりでんミュージアム初訪問

1日にオープンしたという、栗原市若柳のくりでんミュージアムに行ってきた。

朝の石越行普通列車に久し振りに乗ったが、電車はE721系。廃車されたと思しき719系が陸前山王駅に集められていたのが悲しかったが、朝一番の一ノ関行の折り返しは、719系で少し安心した。でも、もうすぐ引退らしいですね。

栗原電鉄の駅本屋跡地にロータリができた駅前には、くりでんの社名入りの「駐車禁止」の看板がそのまま使われていてびっくり。ここから、グリーン観光バスが運行する栗原市民バスで若柳中町へ向かう。車輛は、たまたま神奈中古(神奈川中央交通の中古。友人の命名か?)のふそうの中型が来た。使いまわしなのか旧い降車ボタンが付いており、優先席には初めて見るタイプも。初めてこの会社のバスに乗ったが、ミヤコーバス担当のときよりも好印象をもった。カラースキームだけは後発企業らしくて物足りないけれども。

ミュージアムは旧車庫の「修繕庫」と「客車庫」を見てまわるようにできていて、新築部分は割とあっさりした作りである。

KD12の運転台にシミュレータがあり、空いていたのでBコース「細倉マインパーク-栗駒」間をやってみたが、結構飛ばさないと栗駒まで到達できない。速度制限標識を気にして、制限解除を見落としたためだろうか(苦笑!)

この日は乗車会がなかったので、駅の方は閉まっていた。

2棟の庫の間にある詰所には、電鉄時代の夏(だったか……)に訪問したとき、M15型電車の形式図をコピーしてくださいと申し出た際に入ったことがある。そのときには旧いバスから外したリクライニングシートが置いてあった。まだ電気関係の部門も当然あったはずで、鄙びていても立派に電鉄を運営している誇りというか、生気が感じられた。それがミュージアムの展示の柱となっている、車庫の一角に保存されたのは喜ばしい。できれば、学芸員か語り部となりうる人がいれば、もっと厚みをもった館になるのではないか。職員がみな若い人たちばかりだったので、そう思ってしまう。


2016年


2016/10/1 群馬・足尾訪問

かねてから計画していた、足尾歴史館のフォードガソリン機関車と、上毛電気鉄道大胡電車区の見学を敢行した。

前橋駅で夜行バスを降り、中央前橋駅から上電に乗って西桐生駅でかの地の友人と合流。車でまずは足尾を目指す。

お目当てのフォードがちょうどエンジンを始動し、KATO4tと入換をするところなどの動画を撮ることができた。A型エンジンのワイルドなサウンドに酔いしれて、エンジニアの方の解説も聞くことができ、さらには5インチゲージ(だったか?)のフォードの大型模型まで運転させてもらった。

2016/8/20  福島交通飯坂電車 2016年度視察

ついに、この秋から3年計画で、もと東京急行1000系への置き換えが開始される飯坂線。

仙台から最も近い私鉄電車で、もと東急7000系に乗れる

ため、年に一度は足を運んできたが、置換え開始の報を聞き、所用にかこつけて飯坂温泉まで日帰りで行ってきた。

時間があったので、フリーきっぷを買い、福島-笹谷-上松川-徒歩で笹谷-医王寺前-桜水-飯坂温泉-平野-花水坂と辿り、十何年もかかったが全駅下車。駅を中心に施設見学をしてまわった。

(画像は、東北本線上り列車から。美術館図書館前)

2016/7/30 盛岡バスセンターと松尾鉱山

9月末で営業を終了してしまう、盛岡バスセンターの撮影に友人と車で行ってきた。

翌7月31日限りで乗り入れがなくなる(8月からは盛岡駅西口発着)仙台線「アーバン」の、岩手県北自動車担当便の発車に間に合った。いま話題?の岩手県交通の青銀リバイバル塗色車と、定期観光の県北TSD40改には残念ながら遭遇できず。

八幡平の山上にある籐七温泉への道すがら、松尾鉱業で入換に活躍した東芝製BB凸電を視察。1969年の倒産により廃墟と化した、松尾鉱山の緑ヶ丘アパート群を遠巻きに見て、夢のような籐七温泉の露天風呂で日々の疲れを癒してきたのだった。